言い当てて

聖書: ルカによる福音書 22章 63節~71節

2018年10月14日(日): 聖霊降臨節第22主日礼拝説教

 「見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったり(22:63)」しました。裁判が行われる前に、すでに犯人扱いです。人の決めつけの何と恐ろしいことでしょうか。「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか(6:41)」。さらに、「目隠しをして、『お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ』と尋ねた(22:64)」。人が苦しんでいるのを、むしろ楽しんでいます。人の心の何と恐ろしいことでしょうか。「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか(エレミヤ17:9)」。
 そこから、「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった(22:66)」。最高法院の召集です。彼らは、「お前がメシアなら、そうだと言うがよい(22:67)」と厳しく詰め寄りました。ただこれは、初めから答えありきの裁判でした。だから、「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう(22:67)」。聞く耳のない会議です。こうなると、もはや会議とは呼べません。人の命が軽率に扱われた裁判です。こうなると、もはや裁判とも呼べません。彼らは、頭に血が上って騒ぎ立てるばかりでした(22:71参照)。
 主イエスは、彼らに問いました。「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている(22:70)」。わたしが何者であるか、あなたが言い当ててみなさい、ということです。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか(9:20)」。聖書は、この問いかけに満ちています。長い夜が明けて、間もなく十字架の朝を迎えます。わたしたちも、十字架を見上げて、『真の救い、ここにあり』と言い表したいと願います。「人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる(ローマ10:10)」からです。