罪の深さよ

聖書: マタイによる福音書 23章 37節~39節

2021年11月14日(日): 降誕前第6主日礼拝説教

 都に入ってから、エルサレムの指導者たちのイエスに対する敵対心は、日毎に増すばかりでした。しかし、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ(23:13)」。イエスからの厳しい言葉が、何度も繰り返されています。「見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる(23:38)」。彼らの偽善によって、都は荒れ果てて見えました。
 指導者たちは、「モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである(23:2-3)」。言い訳ばかりなのは、今も同じです。アダムの時代から何も変っていません。言い訳ばかりで、自らの罪を認めることができません。
 「そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする(23:5)」。「杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ(23:25)」。上辺だけなのは、わたしたちも同じです。ソロモンの時代から何も変っていません。上辺ばかりで、自らの罪に気づくことができません。
 「めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった(23:37)」。わたしたちの罪のどれほど深いことでしょうか。それでも叩き続けてくださる『福音のノック』に、聞いて応えるものでありたいと願います。『かたく閉ざした/戸を開いて/心の中に/主を迎えよう(讃美歌430番)』。