考え直して

聖書: マタイによる福音書 21章 28節~32節

2021年10月10日(日): 聖霊降臨節第21主日礼拝説教

 「イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。『何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか(21:23)』」。長い衣と長い祈りが、彼らの『権威』そのものでした。それはまるで、葉っぱばかりで実のない『いちじくの木』です。「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった(21:19)」。深い失望を感じてなりません。「あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ(23:25)」。神は、彼らの内側を見ておられます。
 「わたしも一つ尋ねる/ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか(21:24-25)」。ヨハネを認めることは、イエスを救い主と認めることになります。彼らは、黙ってしまいます(21:25-26参照)。黙ってしまい、何も変ろうとしませんでした。「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った(21:28)」。兄は後になって、考え直して出かけていきます。彼らにも、考え直すことが必要でした。
 わたしたちには、疑いと迷いがあります。しかし、マリアも考え直して、主の言葉に信じて委ねました。ペトロも考え直して、主の言葉に信じて進みました。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう(ルカ5:5)」。わたしたちも考え直して、主の道へと戻って行くのです。