祈りの家と

聖書: マタイによる福音書 21章 12節~17節

2021年10月3日(日): 聖霊降臨節第20主日礼拝、世界宣教・世界聖餐日礼拝説教

 「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された(21:12)」。神殿の祭司たちは、場所代や売上げで潤っていました。一体何のための神殿なのでしょうか。「このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる(ルカ20:47)」。神の嘆きの声が聞えてくるようです。
 「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしている(21:13)」。ただの強盗ではありません。神殿の祭司たちは、癒しを求める人々から『救いの尊厳』を奪おうとします。病気の人々を排除しようとしました。しかし、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である(9:12)」。
 「目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた(21:14)」。その光景に、子どもたちも「ダビデの子にホサナ(21:15)」と言い始めました。神殿の祭司たちは、妬みと保身のために、ひどく腹を立てました。一体何のための神殿なのでしょうか。人々の嘆きの声が聞えてくるようです。
 この世の差別と偏見の何と深刻なことでしょうか。どんな未知のウィルスよりも、人の心の何と恐ろしいことでしょうか。かつて少年ダビデが、小石一つで大男に立ち向かったように、わたしたちも、祈り一つで大きな困難に立ち向かっていかなければなりません。今日は、世界宣教・世界聖餐日礼拝です。世界中の教会と共に、祈りを合わせたいと願います。