荷を負って

聖書: マタイによる福音書 21章 1節~5節

2021年9月26日(日): 聖霊降臨節第19主日礼拝説教

 春の過越祭りで賑わうエルサレムに、イエスは子ろばに乗って入って行かれました。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ(21:9)」。新しい時代の新しい王として、人々の期待は高まるばかりです。ただ五日後の金曜日には、敵意と憎悪の渦に飲み込まれていきます。ここに『受難週の幕』が切って落とされたのです。
 受難週の初めにあって、イエスは子ろばを選ばれました(21:1-3参照)。「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』(21:5)」。馬と比べても、子ろばの何と低く、何と遅いことでしょうか。ただイエスは、「主がお入り用なのです(21:3)」と、子ロバを望まれました。
 もちろんそれは、単なるパフォーマンスではなく、イエスの生き方そのものです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(11:28)」。その低さは、この世で最も低くされた人々と目線を合せるためです。その遅さは、この世で最も後回しにされた人々と歩調を合せるためです。それは、イエスの望まれたことです。
 ロバも、自分のものではない重たい荷物を代わりに負って歩みます。イエスも、わたしたちの重荷を代わりに負って歩んでくださいました。ここに『愛の幕』が切って落とされたのです。わたしたちがどんなに低い時にも、イエスが共にいてくださいます。わたしたちがどんなに遅い時にも、イエスが共に歩んでくださいます。