十字架の願い

聖書: マタイによる福音書 20章 25節~28節

2021年9月12日(日): 聖霊降臨節第17主日礼拝説教

 一度目の十字架の告白の時には、ペトロに「とんでもないことです。そんなことがあってはなりません(16:22)」と、完全に否定されました。苦しみが否定されるというのは、とてもツライことです。また二度目の十字架の告白の時には、弟子たちの間で『誰が一番偉いのか』という議論が起こりました。心が離れていくようで、とても心配になります。
 「あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている(16:23)」。イエスと弟子たちとの間の隙間風に、サタンのほくそ笑む顔が浮かんできます。そして三度目の十字架の告白の時には、エルサレムが間近に迫っていました。次の21章では、エルサレムに入って行かれます。十字架の時まで、あと一週間もありません。
 十字架の迫る時にも、「一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください(20:21)」と願い、「ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立て(20:24)」ました。それでも弟子たちは、十字架と全く違う方向を向いていました。それでも弟子たちは、十字架の思いを分かろうとしませんでした。イエスは、彼らを呼び寄せて言われます。
 「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように(20:26-28)」。愛する弟子たちに、『ここに歩め』と願われました。今の社会に、『ここにあれ』と願っておられます。
 ならば、わたしたちも、心から祈って止みません。『歩ませてください/みあとに従い/希望に輝く/平和への道を(讃美歌505番)』と。