平和・招き

聖書: マタイによる福音書 19章 13節~15節

2021年8月22日(日): 聖霊降臨節第14主日礼拝説教

 「そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子どもたちを連れて来た(19:13)」。親たちは、その子の成長を願って止みません。主イエスも、その子を招いて祝福してくださいました。『おもえばむかしイェス君/おさなごをあつめ/ともにあそばせたまいし/その日なつかしや(讃美歌第一編467番)』。何と微笑ましい光景でしょうか。
 ただ弟子たちは、拒もうとしました(19:13参照)。弟子たちの態度に、主イエスは、深く悲しまれたに違いありません。「わたしの名のためにこのような一人の子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れるのである(18:5)」と、あれほど言ったはずなのに、弟子たちの態度にガッカリさせられます。一体何度話せば分かるのでしょうか。
 今の日本でも、6人に1人の子どもが、相対的貧困に陥っています。一年で50人以上の子どもが、虐待で死んでいます。一年で479人の子どもが、自らで命を絶ちました。どこか遠い国の話ではありません。これが今の日本です。「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい(18:10)」と、あれほど言ったはずなのに、今の社会にゾッとさせられます。
 子どもたちが放っておかれるような社会に、天の国の実現はありません。だから、何度も言います。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである(19:14)」。『きみは今もみ空にて/子らを召したもう/いざやともにゆかまほし(讃美歌第一編467番)』。小さな隣人のために、天の国の実現を願って止みません。