よろこびの遊び

聖書: テサロニケの信徒への手紙一 5章 16節~18節

2021年8月15日(日): 聖霊降臨節第13主日礼拝説教

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです。」
 素晴らしいみ言葉でクリスチャンの標準と言われています。でもいつも、絶えず、どんな事にもとありますと、ハイと言えない自分があります。更にキリスト・イエスにおいて神があなた方に望んでおられることですと結んでいます。
 私たちの喜び、祈り、感謝はどの様なものでしょうか?それは他者のものによって喜ばされているもので、一喜一憂しています。では聖書の語っている喜び、祈り、感謝とはどの様なものでしょうか?
 パウロは、フィリピの信徒への手紙4章4節に「主において常に喜びなさい。」と語っていますが正しく「主において」「キリスト・イエスにおいて」不動の真の喜び、感謝をいただくことが出来るのです。独り子を遣わされた神のご愛、イエスの十字架と復活の恵みにあずかった者だけが真の喜び感謝を体験することが出来ます。この喜びと感謝は不動です。神のご存在、愛、誠実が、その源であり出発であります。ウィリアム・バークレーは「この喜びは地上のあらゆる事柄に依存しない。この喜びの根源はキリストの絶えざる現存の中にもっている。」と語っています。パウロは、肉体的弱さを抱えつつ、苦しみ、困難、迫害の中にも逆境を伝道の場に、おかれた境遇に満足していました。今日は8月15日終戦記念日。私も疎開し終戦で東京に戻りましたが、家庭の破滅、事業の失敗と、怒りと叫び、絶望の中にあってキリストに出会い、喜びと感謝をいただきました。神からの賜り物、不動です。(説教:三枝育代牧師)