愛をささげて

聖書: マタイによる福音書 17章 24節~27節

2021年7月11日(日): 聖霊降臨節第8主日礼拝説教

 「登録が済んだ者はすべて/銀半シェケルを主への献納物として支払う(出エジプト30:13)」と定められている通り、過越祭が近づくと、神殿税を集める者たちが各家を回りました。またそれは、「豊かな者がそれ以上支払うことも、貧しい者がそれ以下支払うことも禁じる(出エジプト30:15)」と定められている通り、一年に一度、誰もが同じ額を納めるよう命じられました。「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない(申命7:7)」ということを、決して忘れないためです。
 富める者は、真の謙遜をもって御前に立ちなさい。過越の小羊の犠牲によって救われたからです。貧しい者は、真の感謝をもって御前に立ちなさい。過越の小羊の血によって赦されたからです。ただそれを忘れて、新約の時代、罪人は救いに遠く、祭司は救いに近いとされました。中世の時代、貧しい者が礼拝堂の後ろに立ち、富める者が礼拝堂の前に座りました。今の時代、未だ差別と偏見に打ち勝つことができません。イエスさまは嘆いて、「人の子は人々の手に引き渡されようとしている(17:22)」と告白されました。
 「地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか(17:25)」。御子でありながら、イエスさまは、わたしたちの救いのためにご自身を十字架に献げてくださいました。「魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい(17:27)」。十字架の上に苦しみながら、イエスさまは、わたしたちの赦しのために真の愛を献げてくださいました。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである(マルコ10:45)」。