輝く幕屋に

聖書: マタイによる福音書 17章 1節~8節

2021年7月4日(日): 聖霊降臨節第7主日礼拝、創立134周年記念礼拝説教

 三人(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ)は、高い山で驚くべき光景を目の当たりします。「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた(17:2-3)」。ペトロはこれを見て、仮小屋を三つ建てることを提案します(17:4参照)。しかし、「あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている(16:23)」。
 三人(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ)は、ゲツセマネの園で苦しみの光景を目の当たりにします。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに(26:39)」。十字架こそが、救いの道です。モーセとエリヤも、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた(ルカ9:31)」。小羊の犠牲こそが、わたしたちを罪から贖い出すのです。
 「神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえ(=小羊)として、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります(Ⅰヨハネ4:10)」。すべては、この愛から始まりました。宮崎教会の始まりも、12名の信徒の集まりから始まりました。『小羊の神の御業の如き/進みゆく世の命なり(創立の記念碑)』。すべては、この愛に建てられました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け(17:5)」。
 「こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください(Ⅱペトロ1:19)」。