あふれる恵み

聖書: マタイによる福音書 15章 21節~28節

2021年6月20日(日): 聖霊降臨節第5主日礼拝説教

 「こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている(15:6)」。イエスさまは、誰でも招こうとされているのに、自分たちの誇りのために信じようともしません。イエスさまは、心から赦そうとされているのに、自分たちの権威のために認めようともしません。イエスさまは、何より愛そうとされているのに、自分たちの保身のために受け入れようとしません。イスラエルの罪の何と深いことでしょうか。
 しかし、イエスさまは、異邦人の母親に対して、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない(15:24)」とお答えになりました。「子どもたち(=イスラエル)のパンを取って小犬(=異邦人)にやってはいけない(15:26)」。あれほど頑ななイスラエルの子どもたちのことを、まだこんなにも愛しておられるのです。一見冷たく聞える言葉に、イエスさまの深い親心を感じてなりません。
 「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです(15:27)」。異邦人の母親も、イエスさまの深い愛情を感じ取ったのだと思います。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように(15:28)」。わたしたちも、多くの恵みを頂いています。感謝のない生活は、神さまの恵みを無にしています。わたしたちも、多くの愛を頂いています。差別と偏見の世界は、神さまの愛を無にしています。
 『食べ物を簡単に捨ててしまうのは、自然や社会に対しても、生産者や生き物に対しても、費やされた時間やお金に対しても、何のリスペクトも感じられません(セリーナ・ユールさん)』。フードロスの社会は、神さまの平和を無にしています。『たえなるみめぐみ/日に日にうけつつ/みあとを行くこそ/こよなきさちなれ(讃美歌461番)』。溢れる恵みに応えて、わたしたちも何もしないでいられるのでしょうか。