小さな器に

聖書: マタイによる福音書 14章 13節~21節

2021年6月6日(日): 聖霊降臨節第3主日礼拝説教

 イエスさまを中心として、感謝と祝福に満ちた恵みの食卓もあれば、ヘロデを中心として、権力と欲望に満ちた悲惨な食卓もあります。ヘロデは、「牢の中でヨハネの首をはねさせた。その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った(14:10-11)」。ヨハネの死が知らされると、イエスさまは、「そこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた(14:13)」。十字架の時を間近に感じながら、今は一人になって、神さまと向き合いたいと願われたのだと思います。
 「しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を(14:13)」追って来ました。イエスさまは、この人々を放っておけないと思われました。ここに、イエスさまの愛を感じてなりません。もちろん弟子たちにも、同じ気持ちでいて欲しい、同じ愛を持って欲しいと、「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい(14:16)」と切に願われました。ただ弟子たちは、「ここにはパン五つと魚二匹しかありません(14:17)」と答えました。こんな自分たちに、一体何ができると言うのでしょうか。
 しかし、「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか/まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ、律法と預言者である(7:9-12)」。自分には、『これしかありません』と諦めてしまうのは簡単です。ただ自分には、『イエスさまが共にいてくださる』と信じて委ねたいのです。この希望に、「すべての人が食べて満腹(14:20)」するのです。