この人を見よ

聖書: マタイによる福音書 13章 53節~58節

2021年5月30日(日): 聖霊降臨節第2主日礼拝説教

 どこまでも変わらず、預言者の使命はただ一つです。どこまでも正しく、その相手が王であろうと大臣であろうと。どこまでも真っ直ぐに、神さまの言葉を語り伝えるということ。ただそれゆえに、預言者たちは、多くの迫害を受けることになりました。「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである(13:57)」と言われている通りです。
 イエスさまも、故郷のナザレにお帰りになりました。会堂で教えておられると、人々は驚いて言いました。「この人は大工の息子ではないか/この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう(13:55-56)」。近ければ近いほど見えないこと、親しければ親しいほど分からないこともあるようです。わたしたちの先入観や思い込みの何と強いことでしょうか。
 ただそこまでも変わらず、イエスさまの使命はただ一つです。どこまでも正しく、人の心が勝手であろうと頑なであろうと。どこまでも真っ直ぐに、神さまの福音を語り伝えるということ。「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである(13:57)」と言われますが、それでも福音の種を蒔き続ける預言者の苦悩と情熱を感じてなりません。
 「シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず、エルサレムのために、わたしは決して黙さない。彼女の正しさが光と輝き出で、彼女の救いが松明のように燃え上がるまで(イザヤ62:1)」。それゆえに、「彼が自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった(イザヤ53:12)」。