信ずる群れに

聖書: マタイによる福音書 13章 34節~35節

2021年5月23日(日): 聖霊降臨節第1主日礼拝、ペンテコステ礼拝説教

 聖霊は、あるようで、ないようで、見えるようで、見えないようで、どこか捉えどころがないように思います。ただそこに、聖霊の豊かさがあるのかもしれません。四つの福音書を見るだけでも、聖霊の捉え方は様々です。
 聖霊は、神からの『言葉』そのものです(マタイ3:16-17参照)。「いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない(13:29)」。忍耐と配慮に満ちています。また聖霊は、神からの『励まし』そのものです(マルコ13:11)。「成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる(13:32)」。成長と実現に満ちています。
 次に聖霊は、神からの『約束』そのものです(ルカ1:35-37参照)。「高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う(13:46)」。尊さと確かさに満ちています。最後に聖霊は、神からの『呼びかけ』そのものです(ヨハネ14:26-27参照)」。「口を開いて/天地創造の時から隠されていたことを告げる(13:35)」。招きと平和に満ちています。
 聖霊は、ないようで、あるようで、見えるようで、見えないようで、どこか捉えどころがないように思います。ただそこに、聖霊の豊かさがあります。『どんないろがすき/ぜんぶ/ぜんぶのいろがすき/みんないっしょに/なくなるよ/ぜんぶのくれよん(おかあさんといっしょの歌)』。そこに描かれる世界のどれほどカラフルなことでしょうか。
 「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように(ローマ15:13)」。来たれ聖霊よ、信じる群れに。