我に聞けり

聖書: マタイによる福音書 12章 38節~42節

2021年5月9日(日): 復活節第6主日礼拝説教

 律法学者とファリサイ派の人々が来て、イエスさまに「しるしを見せてください(12:38)」と迫りました。『救い主である確証をもっと見せろ』ということです。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ(4:3)」という悪魔の誘惑に通じます。「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い(27:40)」という都の人々の蔑みに通じます。このように、「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない(12:39)」。
 ヨナの説教を聞いて、「ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった(ヨナ3:5)」。「ここに、ヨナにまさるものがある(12:41)」。しかし彼らは、イエスさまが、たくさんの人を癒しても、あれは悪霊の頭だと言って、耳を傾けることもありません。また彼らは、イエスさまが、たくさんの人を招いても、あれは罪人の頭だと言って、心を傾けることもありません。どこかできっと、自分の方が正しいと思っているのです。どこかできっと、自分の方が優れていると思っているのです。謙遜と感謝の足りないことを思います。
 そんなわたしたちに、十字架のイエスさまが、呼びかけておられます。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか(12:48)」。隣人の言葉に耳を傾けるとき、わたしたちも真の家族となります。そんなわたしたちに、復活のイエスさまが、招いておられます。「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(11:28)」。神さまの言葉に心を傾けるとき、わたしたちも真の安らぎを得ます。「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです(ローマ10:17)」。『聞いて信じる』のであって、『信じてから聞く』のではありません。この耳を主に向けて。