安息の日に

聖書: マタイによる福音書 12章 9節~14節

2021年5月2日(日): 復活節第5主日礼拝説教

 「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない(出エジ20:10)」。しかし、「弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた(12:1)」。ファリサイ派の人々は、ひどく憤りました。「あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている(12:2)」。安息日に反することは、神への冒涜と見なされました。
 そこで、イエスさまは、ダビデの物語を用いて話されました。「ダビデが/空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには/食べてはならない供えのパンを食べたではないか(12:3-4)」。空腹であれば、多少は大目に見てもよい、ということなのでしょうか。ただそれは、ダビデが勝手にしたことではありません。
 祭司アヒメレクの方から、弱ったダビデを憐れんで、供えのパンを与えてくれました(サム上21:7参照)。「言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある(12:6)」。しかし、ファリサイ派の人々は、安息日にわざわざ手の萎えた人を連れて来て、イエスさまを試そうとしました(12:10参照)。そんな彼らによって、安息日は「裁き日」となってしまいました。
 ただそれは、神の御心ではありません。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか(12:11)」。イエスさまの方から、わたしたちに手を差し伸べてくださいました。「人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている(12:12)」。
 「正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない(12:20)」。イエスさまの方から、わたしたちを愛してくださいました。灯された福音の温かさに、真の安息があります。