休ませて

聖書: マタイによる福音書 11章 25節~30節

2021年4月25日(日): 復活節第4主日礼拝説教

 「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない(13:14)」。いつの時代も、人の頑なさは変わりません。ただ神は、「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました(11:25)」。たった一言の呼びかけに、変えられる人生があります。たった一言の呼びかけに、救われる魂もあります。
 マグダラのマリアは、自分の名前を呼ばれて人生が変わりました。蔑まれた日々に、イエスさまだけが、ちゃんと名前で呼んでくださったからです。そして復活の朝に、マグダラのマリアは、自分の名前を呼ばれて魂から救われました(ヨハネ20:16参照)。途方に暮れる朝に、復活のイエスさまの方から、優しく呼びかけてくださったからです。
 「そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています(11:26-27)」。だから、すべて「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(11:28)」。『休ませてあげよう(ギリシャ語:アナパウオ)』という言葉には、『アナ(主を見上げる)』と『パウオ(主に立ち止まる)』という意味があります。
 2021年度も、主の呼びかけに、主を見上げる礼拝のときが、わたしたちの真の慰めです。主の呼びかけに、主に立ち止まる聖書のときが、わたしたちの真の励ましです。「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである(11:29-30)」。