幕開け

聖書: マタイによる福音書 3章 13節~17節

2021年1月3日(日): 降誕節第2主日礼拝、新年礼拝説教

 「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである(3:13)」。福音の幕開けに、イエス・キリストは、ヨハネから洗礼を受けることを願われました。ただむしろ、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか(3:14)」。
 しかし、「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです(3:15)」。「行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである(9:13)」。この方が、わたしたちの罪を代わりに負ってくださいました。ここに、神の正しさがありました。招きの言葉に、徴税人マタイの人生も大きく変わりました。
 洗礼を受けて水から上がると、天から声がしました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者(3:17)」。彼は、「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする(イザヤ42:3)」。「見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために(イザヤ42:7)」。
 新しい年が、苦しみのない一年であったら、どんなに嬉しいでしょうか。ただコロナのことだけを考えても、まだしばらくは苦難の道を行かねばなりません。ただどんな苦しみにも、十字架のイエス・キリストが、わたしたちと共におられます。だから、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(11:28)」。
 聞けよ、愛と真理の主の物語を。この愛に、今日の平和があります。この物語に、明日の希望があります。2021年の幕開けに、またここから歩み出して行きたいと願います。