さやかに星は

聖書: ヨハネによる福音書 13章 34節~35節

2020年12月24日(木): キャンドルライトサービス説教

 『せかいが、「かぜ」をひきました。この「かぜ」は、とくべつにひどいので、わたしたちお医者さんや看護師さん、病院ではたらいている人は、せかいの人たちの命を守るため、今、ひっしにがんばっています。かぜをひいたのは、目にみえない、小さな小さな「コロナウィルス」という悪いやつのせいらしい(「せかいがかぜをひいたから」高橋しづこ)』。

 この一年は、大変な一年になりました。昨年のクリスマスから思うと、まさかこんなことになるなんて、夢にも思いませんでした。連日のように感染者が伝えられる中で、未知のウィルスに対する不安や恐れから、わたしたちの間で差別や偏見が広がっています。どんな恐ろしいウィルスよりも、人の心のどれほど恐ろしいことでしょうか。ただこれは、今に始まったことではありません。

 イエス・キリストの時代にも、何か病気にかかりますと、これはきっと神さまから罰を受けているんだと、周囲から白い目で見られました。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか(ヨハネ9:2)」。心無い言葉に、差別の根深さを感じてなりません。

 病気という言葉は、ラテン語で「ポエナ(poena)」と言われました。ここから、英語の「pain(痛み)」という言葉と、「penalty(刑罰)」という言葉ができました。このように、病気というのは、わたしたちの体の痛みであるのと同時に、わたしたちの人生の刑罰だと考えられたのです。もちろん、今は昔と違います。病気に対する知識も多くなり、医療もよくなりました。しかし、人の心だけは、何も変わっていないのかもしれません。

 とりわけ、過酷な現場で働く医療従事者への心無い言動が続いています。タクシーの乗車を断られたり、白衣のクリーニングを嫌がられたり、子どもが通う保育園から登園を止めるように言われたり。誰でも疲れて不安なときは、ちょっとした言葉に傷つきやすいものです。むしろ、優しい声かけに心がけたいものです。

 『わたしたちだって、知らないうちに、コロナウィルスにかかっているかもしれない。うつしたらと思うと、ふあんだし、こわいよ。でも、病気の人のそばにいて、たすけたい。命を守りたいんだ。だから、あなたに、たすけてほしい。2つのおねがいがあるんだ!(「せかいがかぜをひいたから」高橋しづこ)』。

 一つは、「思いやりを忘れない」こと。おはよう、大丈夫?、ありがとう、この一言で癒されることがたくさんあります。「(それは)本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業があなたに現れるためである(ヨハネ9:3)」。そう言われて、この人はどれほど嬉しかったことでしょうか。どれほど心が軽くなったことでしょうか。言葉には、人を癒す力が備わっています。今こそ、言葉が持つ本来の力を取り戻していきましょう。

 もう一つは、「自分を大事にする」こと。今日はしっかり手を洗った、今日は規則正しく過ごせた、そんな自分を一日一回褒めてあげましょう。それだけでも、病気に対する免疫が強くなります。とりわけ、日本でも、子どもたちの人権が蔑ろにされています。子どもへの虐待が年間で19万人を越しました。またイジメの件数は61万人を越し、7人に1人が相対的貧困に陥っています。ただ社会があまりに無関心で、そのことが子どもたちの心に深刻なダメージを与えています。その子どもたちは自己評価が低く、自分なんて生まれて来ない方がよかったとさえ思っています。その傷の何と深いことでしょうか。

 しかし、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ3:16)」。そう言われて、人は神の愛を知りました。自分も愛されていることを知りました。誰かを愛すること、誰かに愛されること、ここに、神と人との信頼関係、人と人との信頼関係が修復されていきます。未知のウィルスに打ち勝つためには、新しい薬やワクチンの開発が欠かせません。ただそれだけで、わたしたちは癒されません。今こそ、人が持つ本来の信頼関係を取り戻していきましょう。

 『さやかに星はきらめき/み子イエス生まれたもう/長くもやみ路をたどり/メシヤを待てる民に(讃美歌第二編219番)』。我らの重荷を担うために、互いに愛せよと説くために、神は愛する独り子をこの世に送ってくださいました。皆さん、クリスマスおめでとうございます。ここに、クリスマスが持つ本来の喜びを取り戻していきましょう。去る一年の感謝を込めて、来る一年の希望に委ねて、いつの世も変わらぬ神の愛と共に歩んでいきたいと願います。

 全能の父なる神よ、わたしたちの言葉を、愛に強めてください。この祈りを、主イエス・キリストの御名によって、御前にお献げします、アーメン。