ナザレの人

聖書: マタイによる福音書 2章 19節~23節

2020年12月20日(日): 待降節第4主日礼拝・クリスマス礼拝説教

 ヘロデは、新しい王の誕生を快く思いませんでした。「ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた(2:16)」。自らの保身のために、人の命が軽んじられています。ここに、今も変わらぬ政治の重い罪があります。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ(2:18)」。政治に、社会に、世界は今も傷ついています。
 ヨセフは、マリアと幼子を連れて、エジプトに逃れました。「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した(2:15)」。しかし神は、そこから必ず連れ帰ると約束されました。「イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか/わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる(ホセア11:8)」。誓いに、熱意に、神の思いは今も変わりません。
 ヘロデの死後、ヨセフは、マリアと幼子を連れて、イスラエルに帰って来ました。そして、ガリラヤの「ナザレという町に行って住んだ。『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった(2:23)」。“ナザレ”という言葉には、“癒す”という意味があります。この世界を癒すために、神はその独り子を送ってくださいました。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ3:16)」。クリスマス、おめでとうございます。神は、愛することを決して諦めていません。ならば、この愛に来たり、この愛に生きよ。わたしたちを魂から癒してくれるのは、この愛をおいて他にありません。