その名は

聖書: マタイによる福音書 1章 22節~25節

2020年12月6日(日): 待降節第2主日礼拝・アドベント説教

 「マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった(1:18)」。婚約中の二人にとって、あまりに大きな衝撃でした。「ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した(1:19)」。それは、ヨセフの優しさだったのかもしれません。
 ただこのとき、一番に求められたのは、優しさだったのでしょうか。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい(1:20)」。「その子をイエスと名付けなさい(1:21)」。恐れず共にあるために、一番に求められたのは、その名の確かさに頼ることです。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる(1:23)」。
 紀元前のこと、ユダの王アハズは、レツィンとペカの連合軍に対抗するために、北の大国アッシリアに頼ろうとしました。ただこのとき、一番に求められたのは、神に頼ることでした。しかしアハズ王は、預言者イザヤの忠告を聞かず、アッシリアに頼って勝利を得ました。ただそれも束の間、今度はアッシリアによって攻め込まれてしまいました。
 これが、人の力に頼った結果ではないか。700年のときを経て、イザヤの言葉が、ヨセフの脳裏を駆け巡ります。今こそ、インマヌエルの神に頼るときです。ヨセフは、長い眠りから覚めて、マリアとその子を迎え入れました。神はいつも、一番よいものをくださいます。共にあるために、一番大切な独り子を送ってくださいました。その名の確かさに、頼るものでありたい。