感謝の手紙

聖書: コロサイの信徒への手紙 1章 3節~6節

2020年10月25日(日): 降誕前第9主日礼拝、収穫感謝礼拝説教

 晩年を迎えたパウロが、コロサイの兄弟姉妹に託して止まないものがありました。「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました(1:19-20)」。十字架の血に、わたしたちは、ただこのままに赦され、ただこのままに愛されました。これは、パウロの宣教の言葉そのものでした。
 若い頃は、どこへ行くにも疲れることはありませんでした。でも今は、足も弱り息も切れます。若い頃は、どれほど書いても衰えることはありませんでした。でも今は、手も震え目も霞みます。ただそんな今の方が、むしろ十字架の愛の深さが身に染みてよく分かりました。頭で理解するのではなく、肌で実感するようになったのだと思います。日々を重ねる毎に、感謝の思いが深まってきます。それこそ、今伝えたいことでした。
 「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました(1:21-22)」。十字架の血に、わたしたちは、ただこのままに赦され、ただこのままに愛されました。だからこそ、互いにもっと感謝の言葉が必要なのではないでしょうか。
 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい(3:15)」。愛する兄弟姉妹に、この感謝の手紙は、今もわたしたに託されているのです。