残忍な狼

聖書: 使徒言行録 20章 29節~32節

2020年8月2日(日): 聖霊降臨節第10主日礼拝、平和聖日礼拝説教

 「わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています/だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい(使徒20:29,31)」。

 「見るだけで吐き気がする」「早く消えろ」。木村花さんに対する誹謗中傷の書き込みは、一日百件以上にもなりました。それは単なる、不満や文句のはけ口だったのかもしれません。ただその結果、木村花さんは、22歳の若さで自ら命を絶ちました。言葉は、ときに猛毒となり、ときに暴力となることを、わたしたちも決して忘れてはならないのだと思います。

 『もしも話すことばが目に見えたらどんなかたちをしているだろう/だれかを傷つけることばが針のかたちをしているとしたらどうだろう/話すたびにとがった針が口から発射されて相手に刺さるのが見えたとしたら/ことばの使い方は変わるだろうか(「ことばのかたち」おーなり由子)』。

 わたしたちの言葉が、今よりもっと優しく、もっと平和であれば、この世界も、今よりもっと優しく、もっと平和になるのではないでしょうか。「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです(使徒20:32)」。

 ただパウロには、気がかりなことがありました。都に上るに際して、エフェソの人々をここに残して行かなければなりません。そして、「わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます(使徒20:29-30)」。

 狼が羊の肉を食らうように、邪説を唱える者たちは、わたしたちの肉となる言葉を食らい、教会を惑わそうとします。もっと強くなければ救われない、もっと立派でなければ愛されない。こうして彼らは、自分たちの物差しで神の救いを計ろうとしました。しかし、そのような「むなしい言葉に惑わされてはなりません。これらの行いのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下るのです(エフェソ5:6)」。

 『もしも話すことばが目に見えたらどんなかたちをしているだろう/自分をりっぱに見せるためのことばが砂のように枯れていくのを見るかもしれない/ひとをひれ伏させる魅力的でつよいことばが戦車のようなかたちをしていることがあるかもしれない(「ことばのかたち」おーなり由子)』。

 わたしたちの言葉が、今よりもっと謙虚で、もっと親切であれば、この世界も、今よりもっと謙虚で、もっと親切になるのではないでしょうか。「だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい(使徒20:31)」。

 パウロが教えてきたことは、神が救われるのに何の隔てもない、神が愛されるのに何の差別もない、ということです。「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です(エフェソ2:8)」。その賜物は、神の愛です。ならば、「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように(エフェソ3:17)」。

 『もしも話すことばが目に見えたらどんなかたちをしているだろう/ありふれているけどうれしいシロツメクサのようなことば/とどいたことばがこもれびのようにわらいますように(「ことばのかたち」おーなり由子)』。

 おはよう。たった一言で、わたしたちにも平和の朝が訪れます。ありがとう。たった一言で、わたしたちにも感謝の日々が訪れます。そんな一言に、救われる命もきっとあります。ならば、わたしたちの『この唇をよいおとずれで/あふれるばかり満たしてください(讃美歌512番)』。平和の朝に。

 全能の父なる神よ、我らの言葉を、今こそ愛に変えてください。この祈りを、主イエス・キリストの御名によって、御前にお献げします、アーメン。