霊の火を

聖書: テサロニケの信徒への手紙一 5章 19節~24節

2020年5月31日(日): 聖霊降臨節第1主日礼拝、ペンテコステ礼拝説教

 パウロは、テサロニケの兄弟姉妹に宛てて、この手紙を書きました。

 「さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです(Ⅰテサロニケ4:1-2)」。

 実際、パウロとテサロニケの兄弟姉妹とは、遠く引き裂かれたままでした。「兄弟たち、わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので/なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタン(=妨害者)によって妨げられました(Ⅰテサロニケ2:17-18)」。この町には、パウロの命を狙って多くの妨害者があり、とても行けるような状況にありませんでした。できれば「顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように(Ⅰテサロニケ3:10-11)」。会えない日々に、祈りばかりが募ります。

 ただ祈れば祈るほど、むしろ彼らを近くに感じました。「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです(Ⅰテサロニケ1:2-3)」。あらゆる困難に直面しながらも、祈り合う仲間の何と心強いことでしょうか。顔を見ないというだけで、心まで離れてしまったわけではありません。

 遠く彼らのことを思いながら、パウロはテモテにあることを願います。「あなたが来るときには、わたしがトロアスのカルポのところに置いてきた外套を持って来てください。また書物と、特に羊皮紙を持って来てください(Ⅱテモテ4:13)」。これは後に、パウロがローマに幽閉されたときに書かれたものです。ステイホームの状況にあって、外套と羊皮紙を所望しました。羊皮紙は、手紙を書く際によく用いられたものです。暑い日も、寒い日も、外套と、ペンと、羊皮紙さえあれば、手紙を書くことができます。直接会えないのであれば、手紙を書けばよいのです。これが、パウロの新しい伝道スタイルとなりました。

 実際、パウロの書いた手紙は、各地の教会で回覧板のように読まれました。その一部が、新約聖書の中に残されています。その内容は様々で、テモテやフィレモンのように個人的なものもあれば、エフェソやガラテヤのように教育的なもの、ローマやコリントのように神学的なものもあります。その中で最も初期に書かれたのが、テサロニケの信徒への手紙です。遠く離れて、行きたいけれど行けない、会いたいけれど会えない状況に、手紙という手段を思いついたのかもしれません。「この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるよう/わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように(Ⅰテサロニケ5:27-28)」。

 別れの夜に、イエス・キリストは、弟子たちに約束されました。「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる(ヨハネ14:25-26)」。ここに約束された聖霊こそが、主イエスとわたしたちとを結ぶ『霊なる手紙』そのものなのかもしれません。

 コロナの影響で、わたしたちも会えない日々が続きました。ただようやく、礼拝の再開を知らせる手紙を送りました。6月7日(日)より礼拝が再開されます。久しぶりの再会に、話が尽きないのではないでしょうか。今から楽しみです。また今日に至るまで、わたしたちを結んでくださった『霊なる恵み』に、心からの感謝の礼拝をお献げしたいと願って止みません。

 わたしたちも、霊の火を消してはなりません。「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように/あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます(Ⅰテサロニケ5:23-24)」。

 霊に燃やされて。アーメン。