朽ちぬ希望

聖書: テサロニケの信徒への手紙一 4章 13節~14節

2020年5月17日(日): 復活節第6主日礼拝説教

 パウロは、テサロニケの兄弟姉妹に宛てて、この手紙を書きました。

 「このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい(Ⅰテサロニケ4:17-18)」。

 そう言うのは、彼らの中に『動揺』があったからにほかなりません。教会も人の集まりです。何かしらの問題があって当然です。例えば、同じマケドニア州のコリント教会では、教会を二分する党派争いが起っていました。「このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしてはいけません。わたしたちが以前にも告げ、また厳しく戒めておいたように/神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです(Ⅰテサロニケ4:6-7)」。この手紙にある通り、テサロニケ教会でも同じようなことが起こっていたのかもしれません。

 この中で誰が一番偉いのか。十字架の前夜にも、弟子たちの間でそのような争いが起こりました。確かに「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている/しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である(ルカ22:25,27)」。十字架のイエス・キリストは、わたしたちの罪を代わりに担ってくださいました。自分勝手なわたしたちも赦されました。赦された喜びを忘れることがありませんように。自分中心なわたしたちも愛されました。愛された感謝に生きることができますように。

 十字架の朽ちぬ愛に、わたしたちは今も互いに生かされています。わたしたちの間に争いがあっても、それを乗り越える愛の力が息づいています。だから「兄弟愛については、あなたがたに書く必要はありません。あなたがた自身、互いに愛し合うように、神から教えられているからです(Ⅰテサロニケ4:9)」。愛の帯を締めて、「主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ/人の子は思いがけない時に来るからである(ルカ12:38,40)」。

 彼らは、主人の帰りを待ち望んでいました。キリストの再臨です。イエス・キリストは、また再び来られて、この世を正しく裁き、信じる者をその御国へと救い出してくださいます。今がどんなに困難であっても、わたしたちの労苦に報いてくださいます。その時はもうすぐに起こされると信じていましたが、ただいつまで経ってもその時は訪れません。教会では、その時を見ずに死んでしまう仲間たちもありました。先に召された兄弟姉妹は、どうなってしまうのか。もはや救われることはないのか。彼らの中に、動揺が広がりました。

 離れてどこに行かれるのか。十字架の前夜にも、弟子たちの間でそのような不安が起こりました。ただ「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる(ヨハネ14:1-3)」。

 「すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります(Ⅰテサロニケ4:16-17)」。

 死を迎えて、わたしたちは本当に無力です。ただその御国へと確かに招かれています。その約束を見失うことがありませんように。死に対して、わたしたちは本当に無知です。ただその御国にまた再び会わせてくださいます。その希望に委ねることができますように。「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます(Ⅰテサロニケ4:13-14)」。

 復活の朽ちぬ希望に、わたしたちの命は決して空しく終わることはありません。我が身の望みは、いつも共にあるからです。

 この希望に委ねて。アーメン。