嬉しい便り

聖書: テサロニケの信徒への手紙一 3章 6節~10節

2020年5月10日(日): 復活節第5主日礼拝説教

 パウロは、テサロニケの兄弟姉妹に宛てて、この手紙を書きました。

 「兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください。すべての兄弟たちに、聖なる口づけによって挨拶をしなさい。この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、わたしは主によって強く命じます(Ⅰテサロニケ5:25-27)」。

 ジョセフ・スクラヴィンは、故郷アイルランドに暮らす母に宛てて、一通の手紙を書きました。「慈しみ深い/友なるイェスは/憂いも罪をも/拭い去られる(讃美歌493番)」。あの有名な讃美歌は、一通の手紙から生まれました。ジョセフは、苦労の末に、カナダで教師の職に就くことができました。ただそのことで、故郷の母にどれほどの心配をかけてきたのでしょうか。この手紙は、そんな母を心配して書かれたものでした。

 パウロもまた、テサロニケの兄弟姉妹のもとへ行きたいと願っていました。ただそこには、パウロの命を狙って、今も多くの反対者がいました。とても行けるような状況ではありません。彼らは元気でやっているのだろうか、辛い目に遭っていないだろうか、心配は募るばかりです。「そこで、もはや我慢できず、わたしたちだけがアテネに残ることにし、わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。それは、あなたがたを励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした(Ⅰテサロニケ3:1-3)」。

 パウロと言えば、どこか堅物のイメージがありますが、実際はとても情熱的な人でした。「誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです(Ⅰテサロニケ3:5)」。それだけ、彼らのことが気になって仕方がなかったのだと思います。

 幼稚園の畑に、トマトやキュウリの苗を植えました。あるとき、畑の近くに、一羽のカラスがいるのを見て、子どもたちは心配そうに言いました。『葉っぱが食べられたらどうしよう!』。パウロも、同じ心境だったのかもしれません。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった(ルカによる福音書8:5-7)」。

 サタンの誘惑に、信仰が弱まっていないだろうか、この世の試練に、心が動揺していないだろうか、祈りは募るばかりです。しかし、「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである(ルカによる福音書8:15)」。そんなパウロに、嬉しい便りが届きました。

 「ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました/それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました(Ⅰテサロニケ3:6-7)」。あらゆる困難の中で、「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを(Ⅰテサロニケ1:3)」知らされたからです。「自分の子どもたちが真理に歩んでいると聞くほど、うれしいことはありません(Ⅲヨハネの手紙1:4)」。パウロにとって、これほど嬉しい便りはありません。

 息子ジョセフからの手紙を受け取って、故郷の母も、どれほど嬉しかったことでしょうか。『慈しみ深い/友なるイェスは/我らの弱さを/共に負われる(讃美歌493番)』。息子から母への手紙は、母から息子への『感謝の歌』へと変えられていきました。「わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか(Ⅰテサロニケ3:9)」。どんなに遠く離れても、イエス・キリストの御名によって、わたしたちは祈りに結ばれた『神の家族』です。

 特に今は、コロナの影響によって、直接会うことも難しくなっています。ただわたしたちは、日々祈っている以上に、日々祈られています。そのことが、何よりの感謝でした。ならば、離れて暮らす家族を思い、遠くにある友人を思い、わたしたちも共に歌いましょう。『慈しみ深い/友なるイェスは/愛のみ手により/支え導く(讃美歌493番)』。

 この歌に愛を込めて。アーメン。