嵐の小舟

聖書: テサロニケの信徒への手紙一 1章 5節~7節

2020年4月26日(日): 復活節第3主日礼拝説教

 パウロは、テサロニケの兄弟姉妹に宛てて、この手紙を書きました。

 「兄弟たち、あなたがたに勧めます/気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい(Ⅰテサロニケ5:14-15)」。

 そう願うのは、彼らが今も平穏無事に暮らしていたからではありません。むしろ彼らは、妬みと迫害の只中にありました。ある者は裁かれ、ある者は囚われ、ある者はあらぬ噂を立てられました。人の妬みほど恐ろしいものはありません。生まれたばかりのテサロニケ教会にとって、それはまるで嵐の中の小舟のようでした。

 そのことを心配しながらも、ただパウロが心から感謝して止まなかったのは、これほどの困難の中にあっても、決して沈むことがなかったからです。「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです(Ⅰテサロニケ1:3)」。それは大きな喜びであり、また誇りでもありました。こうして、「マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです(Ⅰテサロニケ1:7)」。

 彼らは、信仰によって働きました。「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです(ローマ10:17)」。これは、ローマの信徒たちに向けて書かれたものですが、その模範(モデル)となったのは、テサロニケの信徒たちであったのかもしれません。彼らは、「ひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり(Ⅰテサロニケ1:6)」ました。倣うというのは、生きるということ。わたしたちも、こんなときこそ、聖書を開いて、その御言葉に生きたいと願ってやみません。「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである(ルカ8:15)」。

 彼らは、希望をもって忍耐しました。コロナの影響で、今は我慢のときかもしれませんが、ただ闇雲に我慢するのではありません。真に頼るべきものを信じて、希望をもって耐え忍ぶのです。「すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか(Ⅰテサロニケ1:9)」。ここに確かな希望があります。アテネの町には、たくさんの偶像が祀られていました。これほどたくさんあっても、ただ一度災難が降りかけると、人々の途端に不安になってアタフタとするばかり。それはまるで、飼い主のいない羊の群れのようです。真に頼るべきものを知らないからです。真の神は言われます。「わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す(イザヤ46:4)」。ここに、愛の神がおられます。

 彼らは、愛のために労苦しました。「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです(Ⅰヨハネ4:8-9)」。神は、その独り子の十字架の痛みをもって、わたしたちのすべてを赦してくださいました。「ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります(Ⅰヨハネ4:9-10)」。この愛に、わたしたちも本気でその人を愛したいと願うならば、『We must learn how to forgive(わたしたちも赦すことを知らなければなりません)』。これは、マザーテレサの言葉です。

 この愛に、嵐の中の小舟も決して沈むことはありません。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である(Ⅰコリント13:13)」。これは、コリントの信徒たちに向けて書かれたものですが、その模範(モデル)となったのは、テサロニケの信徒たちであったのかもしれません。このように、「主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです(Ⅰテサロニケ1:8)」。

 先の見えない不安に、今も嵐のとき、試練のときなのかもしれません。ただ、信仰と、希望と、愛に、わたしたちも、今こそ強くありたいと願ってやみません。「この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです(Ⅰテサロニケ1:10)」。わたしたちも、この信仰を受け継ぐ者とならせてください。アーメン。