毎日、聖書を

聖書: 使徒言行録 17章 10節~15節

2020年3月29日(日): 受難節第5主日礼拝説教

 パウロは、テサロニケのユダヤ人と論じ合い、また聖書を通して、二つのことを証ししました。「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた(17:3)」ということ、「このメシアはわたしが伝えているイエスである(17:3)」ということ。これを聞いて、多くの人々が信じて従いました。
 しかし、一部のユダヤ人がこれを妬み、ありもしないことを言いふらしました。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています/彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています(17:6-7)」。その言葉に何の根拠もありません。無責任な言葉の何と暴力的なことでしょうか。
 そこで、「兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った(17:10)」。二人の熱心さもさることながら、「ここのユダヤ人たちは/素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた(17:11)」。
 彼らも、聖書のことを知らなかったわけではありません。ただここに、十字架の救いを見るドキドキと、復活の恵みを見るワクワクが止まらなかったのです。その喜びは、からし種に似ている。「これを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る(ルカ13:19)」。
 わたしたちも、霊の火を消してはなりません。「それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい(Ⅰテサロニケ5:10-11)」。毎日の聖書を霊の糧に。