賛美の歌を

聖書: 使徒言行録 16章 25節~34節

2020年3月22日(日): 受難節第4主日礼拝説教

 パウロが祈ると、彼女から占いの霊が出ていきました(16:18参照)。その占いで金儲けをしていた主人たちは、パウロとシラスを捕らえて役人たちに引き渡しました(6:19参照)。役人たちは、二人に足枷をはめて暗い牢に投げ入れてしまいました。金と権力の何と恐ろしいことでしょうか。
 真っ暗な牢獄の中で、二人が「賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた(16:25)」。二人が歌っていたのは、旧約聖書の詩編だったのかもしれません。賛美というのは、痛みや苦しみの中でこそ歌われるものです。ここに、賛美の力を感じてなりません。
 すると、「大地震が起こり/たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった(16:26)」。そこで目を覚ました看守は、責任をとって自ら命を絶とうとします。しかし、「わたしたちは皆ここにいる(16:28)」。苦しみの夜に、独りの夜に、主イエスは共におられます。
 そこで看守は、伏して願います。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか(16:30)」。その答えは、実にシンプル。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます(16:31)」。『信じる』とは、『委ねる』ということです。わたしたちには、重荷を委ねる祈りと賛美が必要です。
 一つの賛美から、新しいクリスチャンホームが誕生しました(16:33-34参照)。ここに、賛美の豊かさを感じてなりません。暗き世に、あなたの歌がありますように。暗き心に、あなたの笑みがありますように。この家に、あなたの救いがありますように。あなたの御名を褒め称えます。