わたしが担い

聖書: イザヤ書 46章 3節~4節

2020年1月1日(水): 元旦礼拝説教

 「わたしに聞け/あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで背負って行こう(46:3-4)」。50年に及ぶ捕囚の苦役を、神が共に担ってくださいました。『担う(ヘブライ語:アーマス)』というのは、もともと奴隷や家畜に用いられる言葉です。まるで僕のようになって、わたしたちの罪をすべて担ってくださった、十字架のイエス・キリストの姿を思います。
 クリスマスに飾られていた町並みも、すっかり正月飾りに様変わりしました。ただ教会では、クリスマスの喜びの余韻の中で、新しい年を共に迎えたいと思います。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ(ルカ2:14)」。『平和(ラテン語:パックス)』には、『支払う(英語:ペイ)』という意味があります。十字架の血に、わたしたちの罪を代わりに支払ってくださった、十字架のイエス・キリストの姿を思います。
 「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました(ローマ5:8)」。クリスマスの喜びの余韻の中で、すでに十字架への道が備えられています。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています(エフェソ5:8)」。十字架を見上げて、命と光の道を歩んで行きましょう。ならば、『やすかれ、わがこころよ/いのちのさちをぞ受けん(讃美歌532番)』。