キリスト者と

聖書: 使徒言行録 11章 19節~26節

2019年12月15日(日): 待降節第3主日(アドヴェント)礼拝説教

 キリストの教会が各地に起こされていきました。ただそれは、「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった(11:19)」とある通り、ユダヤ教への改宗者も含めて、ユダヤ人に限られたものでした。しかし、異邦人の町アンティオキアで新しい宣教が始まりました。「ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた(11:20)」。外国人に向けての宣教です。とてもシンプルに、主イエスの福音(十字架と復活)が語られたのだと思います。ここに、外国人を中心とするアンティオキア教会が誕生しました。
 そこで、都の教会からバルナバが派遣されます。バルナバは、「固い決意をもって主から離れることのないようにと(11:23)」勧めました。慰めとは、共に歩むことです。また指導者として、サウロが招かれます。サウロによって、聖書が深く語られたのだと思います。聖書に生きるということは、キリストに生きるということです。人種の壁を越えて、キリストの前に喜び集まる群れを何と呼べばよいのでしょうか。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者(=クリスチャン)と呼ばれるようになったのである(11:26)」。
 外国人(=無割礼な者)に対する差別や偏見から、都の教会では、アンティオキア教会のことをあまり快く思わない人々もありました。ただ都の教会が飢饉で困っていると知れば、彼らはこぞって援助の品を届けました(11:27-30参照)。『キリストは弟子の足さえ洗われ、みずから仕えて模範となられた(讃美歌543番)』。キリストを模範とした愛の群れです。キリストの愛が、アンティオキアの教会から全世界の人々に届けられることになります。わたしたちの教会も、キリストの愛の発信地でありたいと願います。