基礎が固まって

聖書: 使徒言行録 9章 26節~31節

2019年11月17日(日): 降誕前第6主日礼拝説教

 「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊に慰めを受け、基礎が固まって(9:31)」きました。神の平和を柱とし、主への畏れを土台とし、聖霊の慰めに結ばれて、キリストの教会が立てられていきます。これを無くして、教会は立ち行きません。嵐の海に漕ぎ出すのであればなおさらのことです。
 ステファノの殉教に端を発して、キリストの教会への迫害が強まっていきました。しかし、迫害の急先鋒だったサウロは、天から主の声を聞きます。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである(9:5)」。サウロは、本物の愛と出会ってしまいました。圧倒的な愛に伏して信じるほかありません。ここに、主への畏れが生じます。
 サウロは、イエス・キリストを宣べ伝えました。しかし、教会の人々は、サウロのことを恐れて信じませんでした。そんなサウロを仲介したのが、バルナバ(慰めの子)でした。『慰め(ギリシャ語:パラクレイセオス)』という言葉には、『共に歩む』という意味があります。サウロも、バルナバも、教会の交わりがなければ、出会うことのなかった二人です。
 キリストの教会は、『招かれたもの(ギリシャ語:エクレシア」と呼ばれるようになりました。もはや、ユダヤもガリラヤもサマリアもなく、外国人も寄留者もなく、すべての人々が、神の平和のうちに招かれているからです。平和の約束が、教会の柱です。これを無くして、教会は立ち行きません。現代の荒波に漕ぎ出すのであればなおさらのことです。
 「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです(エフェソ2:22)」。ならば、『死よりときはなちて、仕うる民となしたまえり(讃美歌390番)』。