なぜ、わたしを

聖書: 使徒言行録 9章 1節~9節

2019年11月10日(日): 降誕前第7主日礼拝説教

 西暦34年頃、一人の若者が、信じてキリストの教会に加わりました。その名はサウル、タルソスに生まれ育った文化的教養と、ガマリエルに学んだ豊富な聖書的知識は、キリストの教会に大きな影響を与えることになります。「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である(9:15)」。
 サウルは、ステファノの祈りに衝撃を受けます。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください(7:59)」。この罪を代わりに負ってくださるのは誰か。そのことが、サウルの脳裏に強烈なインパクトとして残りました。その反面、教会への迫害を強めていきます(9:1-2参照)。「ところが/ダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした(9:3)」。
 サウルは、光の中に声を聞きます。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか(9:4)」。教会を苦しめるのは、わたしを苦しめるのだ。この苦しみを代わりに負ってくださるのは誰か。そのことで、サウルは三日三晩一人で祈ることになりました。「主よ、あなたはどなたですか(9:5)」。わたしは、十字架のイエス・キリストである。暗闇の中に真の光を見ます。
 アナニアの祈りに、サウルの目から鱗のようなものが落ちました(9:17参照)。その目に、はっきりと見えるものがありました。すべてを負ってくださる十字架の愛に、サウルは新しく変えられました。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです(Ⅱコリント5:17)」。キリストの愛が、わたしを駆り立てているからです。