罪の縄目に

聖書: 使徒言行録 8章 18節~25節

2019年10月13日(日): 聖霊降臨節第19主日礼拝説教

 サマリアの集落に、シモンという名の魔術師がいました。シモンは、「魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称して(8:9)」いました。その力で、人々を上から抑えつけて支配していたのだと思います。そこに、七人の奉仕者の一人、フィリポが訪れます。フィリポの語るキリストは、「死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした(フィリピ2:8)」。それは、仕えて寄り添う愛の力そのものでした。
 愛の力に解放されて、サマリアの人々は、「男も女も洗礼を受け(8:12)」ました。これまでサマリアは、長く差別と偏見の縄目に縛られてきました。しかし、「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです(ガラテヤ3:28)」。この福音の一言に、そっと解かれていくものを感じます。サマリアの人々も、聖霊を受けて、キリストの証し人とされました。その顔には、大きな喜びと確かな自由がありました。
シモンは、聖霊の力を金で買おうとしました。それは、実際に起こったことです。16世紀 の教会では、免罪符(贖宥状)が売買されていました。救いは金で買える時代です。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ(8:20)」。神の救いは、何かの対価によって得られるものではありません。「これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです(ローマ9:16)」。
 神の憐れみによって、わたしたちは、ただそのままに愛されています。この愛に、サマリア人も、日本人もありません。この愛を隔てるもの、この愛を縛るものなど、何一つないからです。