証しの幕屋

聖書: 使徒言行録 7章 44節~53 節

2019年9月22日(日): 聖霊降臨節第16主日礼拝説教

 「先祖には、荒れ野に証しの『幕屋(ヘブライ語:ミシュカーン)』がありました(7:44)」。それは、移動式の簡素な作りでした。神は、「イスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家には住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んで(サムエル下7:6)」きました。あなたがどこへ行こうとも、わたしはいつも共にいる。その思いの証しとして、神は幕屋を望まれたのです。
 やがて、ソロモンの時代に立派な神殿が建てられましたが、「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません(7:48)」。その神殿もバビロンによって壊されて、人々は捕囚の民となりました。しかし、「天はわたしの王座、地はわたしの足台(7:49)」。あなたがどこへ行こうとも、わたしはいつも共にいる。イスラエルにとって、その約束の言葉こそが、『証しの幕屋』そのものでした。
 ただ、「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています(7:51)」。ヘロデの建てた立派な神殿に頼り、神殿そのものを拝むようなことは、果たして律法に適ったことでしょうか。ステファノの指摘は、的を射ていたように思います。しかし彼らは、全く聞こうとせず、むしろ強く反発しました。「天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした(7:53)」。
 形あるものは、いずれは滅びていきます。しかし、「わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ(イザヤ40:8)」「言は肉となって、わたしたちの間に『宿られた(ヘブライ語:ミシュカーン)』(ヨハネ1:14)」からです。あなたがどこへ行こうとも、わたしはいつも共にいる。わたしたちにとって、その福音の言葉こそが、『証しの幕屋』そのものです。