拾い上げ

聖書: 使徒言行録 7章 17節~22節

2019年9月15日(日): 聖霊降臨節第15主日礼拝説教

 葦の茂みに「捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです(7:21)」。その子は、『水の中から拾い上げた(ヘブライ語:マーシャー)』という意味で、モーセと名付けられました。最高法院におけるステファノの説教は、モーセの物語に入ります。ステファノは、モーセの生涯に、イエス・キリストを重ね合わせながら語ります。
 「この王は/先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました(7:19)」。同じく、幼子イエスも、ヘロデに命を狙われました。しかし、神は、ここに救いの道を切り開いてくださいました。「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか(7:27)」。同じく、預言者イエスも、人々から拒まれました。しかし、神は、ここに真理の言葉を示されました。
 「この人が荒れ野の集会において/命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです(7:38)」。しかし、先祖たちは、『命の言葉(=十戒)』に従わず偶像に頼りました。また、祭司長や律法学者たちは、『命の言葉(=律法)』で人を裁こうとしました。しかし、神は、ここに『命の言葉(=福音)』を与えてくださったのです。
 何を食べようか、何を着ようか、それによって養われる命もあれば、何を信じようか、何に委ねようか、ただそれによって養われる命もあります。我らを贖い、命を給う。神は、深い罪の中から、わたしたちを拾い上げてくださいました。わたしたちの日々に、イエス・キリストの命が、すでに証しされています。「わたしは道であり、真理であり、命である(ヨハネ14:6)」。