しかし、神は

聖書: 使徒言行録 7章 9節~16節

2019年9月8日(日): 聖霊降臨節第14主日礼拝説教

 都の人々は、デマを流し、偽証人を立てて、ステファノを訴えました。「この男は、この聖なる場所(=神殿)と律法をけなして、一向にやめようとしません(6:13)」。そこで、ステファノは、アブラハムから始まる神の物語を語り始めました。「わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました(7:2-3)」。ここには、神殿もなければ、律法もありません。また、財産もなければ、「一歩の幅の土地(7:5)」されもありませんでした。
 しかし、神は、「いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる(7:5)」と約束されました。アブラハムは、まだ見ぬ約束を信じて歩みました。ここに、信仰の原点がありました。しかし、この約束が実現するのに、何百年も要しました。アブラハムから数えて三代目のこと、「この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました(7:9-10)」。あらゆる苦難を越えて、神の物語の何と壮大なことでしょうか。
 わたしたちにも、何の立派さもなければ、一歩の幅の信仰さえもありませんでした。しかし、神は、「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました(ローマ5:8)」。あらゆる弱さを越えて、愛の御手が、わたしたちを捉えて離さないからです。だから、わたしたちも、救いの今を信じて、平和の未来を信じて歩んでいきたいと願います。