慎重に

聖書: 使徒言行録 5章 33節~42節

2019年8月25日(日): 聖霊降臨節第12主日礼拝説教

 使徒たちは、最高法院の場で、十字架と復活のイエス・キリストを力強く証ししました。しかし、「これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた(5:33)」。怒りの感情に抑えが利かなくなるというのは、とても怖いことです。そのとき、わたしたちに何が求められるのでしょうか。
 そこで、ガマリエルという教師が立ち上がり、議員たちに進言します。「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい(5:35)」『慎重(ギリシャ語:プロセコウ)』には、『よく考える』という意味があります。一旦落ち着いて、よく考えることが求められたのだと思います。
 テウダという男も、ユダという男も死んで、その弟子たちも散り散りにされました(5:36-37参照)。イエスという男も、十字架で死にました。その弟子たちも自滅するでしょう。だから、「あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい(5:38)」。議員たちは、その意見に従ったようです。
 しかし、ガマリエルは、神の計画について慎重に思いを巡らせました。「あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ(5:38-39)」。御心を思う祈りの心です。
 使徒たちは、迫害の中で、喜んで福音を宣べ伝えました(5:41-42参照)。むしろ苦しみの中でこそ、イエス・キリストを近くに感じていました。怒りに満ちた今の社会にあって、人と人の間に、十字架の愛と復活の恵みがありますように。国と国の間に、御心を思う祈りの心がありますように。