負わせようと

聖書: 使徒言行録 5章 27節~32節

2019年8月18日(日): 聖霊降臨節第11主日礼拝説教

 ペトロをはじめ、使徒たちのもとには、「エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった(5:16)」。迫害の中にあって、使徒たちの愛の姿勢に何ら変わるところはありませんでした。大祭司とその仲間たちは、妬みに燃えて、使徒たちを捕らえて牢に入れました。そこに、天使が現れて、使徒たちを解放して命じました。「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい(5:20)」。神の熱意に何ら変わるところはありませんでした。
 大祭司とその仲間たちは、使徒たちを厳しく尋問しました。「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちは/あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている(5:28)」。自分たちの罪に気づきながら、それを認めようとはしません。アダムとエバの時代から、変わらない人の姿を思います。自らの非を認めることなく、わたしたちはまた、過去の過ちを繰り返そうとしています。この時代に、変わらない人の弱さを思います。
 原爆の記憶、あれほどの思いをしても、『人は忘れやすく弱いものだから/あやまちをくり返す/だけど/このことだけは忘れてはならない/このことだけはくり返してはならない/どんなことがあっても(山口カズ子)』。わたしたちも、自らの弱さと向き合っていきたいと願います。「神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました(5:31)」。悔い改めて、神の愛と命の証し人でありたいと心から願います。