話さないでは

聖書: 使徒言行録 4章 15節~22節

2019年7月14日(日): 聖霊降臨節第6主日礼拝説教

 ペトロの大胆な証しに、都の祭司たちは苛立ちを隠せませんでした(4:1-4参照)。『苛立ち(ギリシャ語:ディアポネオマイ)』には、『抑えがない』という意味があります。心のブレーキを失っています。今の社会に必要なのは、大切な隣人のために、優しくブレーキを踏むことではないでしょうか。彼らの苛立ちによって、ペトロたちは、罪状も分からぬまま牢に入れられました。
 翌日、ペトロたちは、厳しく尋問を受けました。しかし、そこでも大胆に証しをします。この方こそ、隅の親石(救いの要石)となられました。その態度を見て、彼らは驚きを隠せませんでした(4:13参照)。『大胆(ギリシャ語:パレイシア)』には、『信頼・確信』という意味があります。十字架と復活のイエス・キリストに対する信頼と確信こそが、証しの原動力です。
 また彼らは、「足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった(4:14)」。救われてそこに立っている、愛されてそこに立っている。ただそれだけが、証しとなっています。「わたしたちはこの事実の証人であり/聖霊も、このことを証ししておられます(5:32)」。しかし、その事実を脅して黙らせようとしました(4:15-18参照)。
 脅すというのは、見えない鎖で縛ることです。「しかし、神の言葉はつながれていません(Ⅱテモテ2:9)」。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです(4:20)」。「草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ(イザヤ40:8)」。