自分の罪が

聖書: 使徒言行録 3章 11節~19節

2019年6月23日(日): 聖霊降臨節第3主日礼拝説教


 「あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました(3:13)」。「その男を殺せ。バラバを釈放しろ(ルカ23:18)」。『殺せ(ギリシャ語:アイレー)』には、『排除しろ』という意味があります。これほどに差別的な言葉は、他にあるでしょうか。人の言葉に、真の謙虚さが求められています。
 「兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています(3:17)」。『知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり(孔子の論語)』。逆に、偉そうに言うだけの言葉に何の知恵もありませんし、人を罵るだけの言葉に何の尊敬も感じられません。人の言葉に、深い罪が表われます。
 しかし、主イエスの十字架の愛と復活の恵みによって、わたしたちの罪を拭い取ってくださいます。「あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です(3:15)」。「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい(口語訳3:9)」。
 こうして、「あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです(3:16)」。「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい(3:6)」。その名に、人を生かす命の言葉が表われます。「だれでもわたしのところに来なさい(マタイ11:28)」。命の言葉に立ち帰り、命の言葉に歩みたいと願います。