金や銀はないが

聖書: 使徒言行録 3章 1節~10節

2019年6月16日(日): 聖霊降臨節第2主日礼拝説教

 ペトロとヨハネが、神殿に上って行くと、「生まれながら足の不自由な男が運ばれて(3:2)」来ました。「神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである(3:2)」。彼は、40歳を過ぎていました(4:22参照)。孤独と偏見に満ちた人生、ここに置き去りにされた40年を思います。
 いつものように、「彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた(3:3)」。そこで、「ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、『わたしたちを見なさい』と言った(3:4)」。こうして、目と目が合うところに、本当の出会いがあります。幼い子と向かい合うように建てられた、クラーク先生の銅像を思い出します。その眼差しを見つめ返して、何を願うのでしょうか。
 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい(3:6)」。「今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである(ルカ12:28)」。同じ今日を生かされて、同じ今日を共に祈りましょう。
 彼のような病人は、汚れたものと見なされて、門を潜ることも、神殿の中で共に祈ることも禁じられていました。しかし今日は、心から美しいと思えることが起こりました。イエス・キリストの名によって、共に祈りましょう。そのことを、一体誰が禁じ得ましょうか。彼は立ち上がり、「二人と一緒に境内に入って行った(3:8)」。祈り合うことの偉大さと豊かさを思います。