足台とする

聖書: 使徒言行録 2章 29節~35節

2019年5月12日(日): 復活節第4主日礼拝説教

 「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで(2:34-35)」。少年ダビデは、ペリシテの大男ゴリアトにまたがり、それを足台として勝鬨を挙げました。これほどの英雄は、ダビデをおいてほかにありません。しかし、「彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます(2:29)」。どれほどの英雄であっても、いずれは死すべきものであり、その証しとして墓があります。その点において、ダビデもまた、過去の英雄に過ぎません。
 それでも、「ダビデは預言者だったので/キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』と語りました(2:30-31)」。こうして、ペトロは、ダビデの詩(=詩編16編)に、復活の主イエスを見出しました。「わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ(2:32-33)」、永遠のものとなられました。わたしたちは、過去の英雄を崇めているのではありません。今なお生きて働いておられる復活の主イエスを信じているのです。
 死を前にして、わたしたちは無力です。しかし、「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵(=死)を/あなたの足台とするときまで(2:34-35)」。ダビデの詩(=詩編110編)に、復活の主イエスの勝鬨を見出します。「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか(Ⅰコリント15:55)」。こうして、「わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています(ローマ8:37)」。すべては、新しい命に向かっています。この真に敵うものはありません。