計画により

聖書: 使徒言行録 2章 22節~28節

2019年5月5日(日): 復活節第3主日礼拝説教

 「このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのです(2:23)」。ここに、神の不退転の決意を思います。だから、「これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です(2:22)」。『ナザレ』には、『安らぎ』という意味があります。その名の通り、平和で安心なところでした。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである(ルカ18:16)」。神は、その独り子を、わたしたちの『安らぎ』として送ってくださったのです。そのことは、「あなたがた自身が既に知っているとおりです(2:22)」。
 しかし、「あなたがたは律法を知らない者たち(=ローマ)の手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです(2:23)」。「ナザレから何か良いものが出るだろうか(ヨハネ1:46)」と言って、承知の上で十字架につけて殺してしまいました。得体の知れない人の罪を思います。しかし、「神はこのイエスを死の苦しみ(=陣痛の苦しみ)から解放して、復活させられました(2:24)」。こうして、神は、まさに、産みの苦しみをもって、わたしたちを真の救いに生み出してくださったのです。「一人の人間が世に生まれ出た喜びのため、もはやその苦痛を思い出さない(ヨハネ16:21)」。だから、「わたしは決して動揺しない/体も希望のうちに生きるであろう(2:25-26)」。
 「その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない(ヨハネ16:22)」。この計画により、わたしたちのうちに、命に至る道が示されたからです。