上にあるものを

聖書: コロサイの信徒への手紙 3章 1節~4節

2019年4月21日(日): 復活節第1主日礼拝、イースター礼拝説教

 「わたしたちは/キリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです(ローマ6:4)」。主の十字架と共に、古い自分が葬られ、主の復活と共に、新しい自分に生まれ変わります。イースターを迎えて、わたしたちの信仰も新たにしたいと願います。
 だから、「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい(3:2)」。交わす言葉の中に、未だ古い自分が残されています。「そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい(3:8)」。むしろ、「互いに忍び合い/主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい(3:13)」。
 「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て/万物をただ御子によって、御自分と和解させられました(1:19-20)」。わたしたちが求めるものは、『主がわたしたちに何をしてくださったのか』ということです。「この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです(3:15)」。
 人に、国に、政治に、社会に、下を向いて溜め息の出ることばかりが起こります。しかし、「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます(3:1)」。十字架の希望と、復活の神秘に、わたしたちは上を向いて、キリストの新しい命に歩んでいきたいと願います。