心が燃えて

聖書: ルカによる福音書 24章 28節~35節

2019年2月10日(日): 降誕節第7主日礼拝説教

 二人は、エマオに向けて歩きながら、何やら熱心に語り合っていました。そこへ、復活の主イエスが現れて、彼らと共に歩き始めます。「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった(24:16)」。わたしたちも、すべてを見ているようで、何も見えていないのかもしれません。そこで、「聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された(24:27)」。その熱意が伝わってきます。そこで、二人は、無理に引き止めて、「一緒にお泊りください(24:29)」と願います。
 その夜のこと、「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しに(24:30)」なりました。二人は、かつて見た光景を思い出します。「五つのパンと二匹の魚を取り/それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた(9:16)」。あのときの光景が、鮮明に思い浮かびます。「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった(24:31)」。見えなくても、二人には、はっきりと分かりました。
 ガリラヤ地方では、冬の時期になると、大地は乾燥し、草木は枯れて、風景に色がなくなります。しかし、春が近づくと、一斉に花が咲いて、大地が燃えるように色づきます。何もなかったのではありません。それらは、初めからそこにありました。それらは、雪の下で、土の下で、静かにそのときを待っていたのです。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか(24:32)」。二人にも、そのときが訪れたのです。心は燃えて、復活の春が近いことを思います。