心が鈍く

聖書: ルカによる福音書 24章 21節~27節

2019年1月13日(日): 降誕節第3主日礼拝説教

 「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか(24:25-26)」。これは、神の言葉に対する鈍さです。まさに、馬耳東風です。そこで、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された(24:27)」。聖書というのは、読む度に新しい発見がありますし、また、開く度に改めて気づかされることがあります。聖書の豊かさが、ここにあります。
 エマオの途上、二人の弟子は、十字架の主イエスについて、「わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです(24:20)」と語り合っていました。どこかまだ他人事です。また、復活の主イエスについて、「仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした(24:24)」と語り合っていました。どこかまだ信じていません。そんな二人に、もう一度、聖書を味わい直すように言われました。
 そこで、預言者は言います。「彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった(イザヤ53:5)」。この言葉と出会って、十字架の主イエスが分かります。また、モーセは言います。「主御自身があなたと共におられる(申命記31:8)」。この言葉と出会って、復活の主イエスが分かります。「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯(詩編119:105)」。この言葉と出会って、わたしたちの行く道が示されますように。この一年も、あなたの言葉を近くに、歩ませてください。