歩きながら

聖書: ルカによる福音書 24章 13節~21節

2019年1月6日(日): 降誕節第2主日礼拝、新年礼拝説教

 「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた(24:13-14)」。その一人は、クレオパという弟子でした(24:18参照)。また、エマオには、二人の家があったのかもしれません。
 ちょうどこの日、というのは、主イエスは復活されたと、初めて聞かされた日です。しかし、彼らは、「この話がたわ言のように思われたので/信じなかった(24:11)」。「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります(24:21)」。二人は、失意のままエマオへと帰って行きます。それは、夕暮れのときでした。沈む太陽と沈む心が、重なって見えます。
 そこに、もう一人が現れて、二人に尋ねます。「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか(24:17)」。すると、クレオパは、呆れたように答えました。「この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか(24:18)」。ただ本当にご存じなかったのは、自分自身でした。「話し合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった(24:16)」。
 『目が遮られて』とは、英語での聖書では、『something kept(何かに掴まれて)』と訳されていました。わたしたちも、何かに掴まれて、すぐそこにあるものが見えていないのかもしれません。しかし、復活の主イエスは、そんなわたしたちに近づいて、一緒に歩いてくださいました(24:15参照)。わたしたちの気づかぬうちから、復活の主イエスは、すでに共にあります。新しい一年が始まりますが、すべての道は、この恵みに溢れています。