途方に暮れて

聖書: ルカによる福音書 24章 1節~7節

2018年12月23日(日): 待降節第4主日礼拝、クリスマス礼拝説教

 その朝、マリアは、途方に暮れていました。天使から、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい(1:31)」と告げられたからです。戸惑うマリアに、天使は、「神にできないことは何一つない(1:37)」と告げました。『こと(ギリシャ語:レーマタ)』には、『言葉』という意味があります。神が言われたことで、実現しないものはありません。ならば、「お言葉どおり、この身に成りますように(1:38)」。
 その朝、婦人たちは、途方に暮れていました。「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった(24:2-3)」からです。戸惑う婦人たちに、天使たちは、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい(24:5-6)」と告げました。かつて言われた言葉が、ここに実現したのです。
 「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか(24:7)」。独り子をこの世に渡されるほどに、神は愛されると言われたではないか。独り子の十字架によって、神は赦されると言われたではないか。その名は、インマヌエルと呼ばれる。この名は、「神は我々と共におられる(マタイ1:23)」という意味である。約束されて、神は共にあると言われたではないか。
 「週の初めの日(24:1)」。それは、天地創造の神が、『光あれ』と言われた日に由来します。こうして、光があった。すべては、ここから始まります。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた(ヨハネ1:14)」。この一年を振り返って、あのときも、神の言葉が共にありました。また今日も、神の言葉が、わたしたちの間に、生きて共にあります。