楽園にいる

聖書:ルカによる福音書 23章 35節~43節

2018年12月2日(日): 待降節第1主日礼拝説教 アドベント

 議員はあざ笑って言います。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい(23:35)」。天の大軍が助けに来れば、この人をメシアだと信じたのでしょうか。兵士たちも侮辱して言います。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ(23:37)」。十字架から降りて見せれば、この人を王だと認めたのでしょうか。きっとそうではありません。何かと理由をつけて、最後まで信じようとはしません。それは、自分に都合のよい言い訳に過ぎません。
 十字架にかけられた一人が罵って言います。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ(23:39)」。ただの八つ当たりです。何かと文句ばかりを言って、最後まで認めることはありません。人の思いの何と自分勝手なことでしょうか。罪の深さを思います。ならば、十字架を前にして、自らの罪を伏して顧みたい。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ(23:40-41)」。十字架の前に、罪の自分を思います。
 そこで、十字架にかけられた一人が願って言います。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください(23:42)」。十字架の主イエスは、この一人を招いて言われます。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(23:43)」。『楽園(ペルシャ語:パラデース)』には、『何かに囲われた庭』という意味があります。十字架の主イエスが、罪のわたしを囲ってくださいます。『つゆほど功のあらぬ身をも/輝く幕屋に住ませたもう(讃美歌579番)』。十字架を前に、愛の深さを思います。
 クリスマスは、夜の物語です。真っ暗な夜に、救いの光が訪れます。罪のわたしたちも、心から信じて憩わせてください。